副灯のお陰でどんな構図でも様になりました。この頃ダイヤ情報を買うとまずは磐西に臨時のお座敷は入るか?と確認するのが常でした。
常連の第一位は新潟のお座敷。分割して1日二本と言うことも有りました。それに続くのがオリサルと金沢のお座敷でしょう。同じ日に複数本と言う事もしょっちゅう有りカマの足りない分はDE10の登場です。それが最後は逆に成ってしまいましたが…
この日は朝に単機回送が有り午後から列車を引き新潟に戻るパターンだったと思います。
山都で停車した後に長い一ノ戸川橋梁を渡り喜多方を目指すのでした。
1993/10/28 NikonF4s 180mm |
この頃は運転士さんが察していたのか単機回送の時も貨物運用の時も副灯をつけてきてくれたので、ありがたかったです。
返信削除ダイノさま
削除やはり人気のカマ、乗務員も察していたのでは?
50系末期の頃はこちらは副業で挑んでいましたが、結果はこのカマが一番多く枚数が残されています。
EF5861と同じです。
今も高崎あたりに転属して残されていれば842以上の人気ガマに成っていたでしょう。
関東からです交通費もかかるので、ジョイトレは2本以上なら出撃。多い時は3本という時に出撃していました。その分、どこに745が入るかわからずに当時は情報もないので苦労しました。
返信削除しょうたさま
削除良い時代でしたね。
今は一本でも走れば猫も杓子も出撃して大騒ぎです。
情報が無かった分サプライズがあり嬉しい思いもしました。撮影できた時の喜びは情報過多の現在では味わえないものでしたね。
現在は珍しい物にみんなの目が集中しすぎて普段の姿を見落としすぎだと思いますので、このあたりは注意して撮影したいと思います。