伊藤久巳さんが書いたものだが窓の事についての記事であった。
写真もカラーで多くのカマを記録していて羨ましい限りである。
末期の58は窓やあちこちのパーツが固体によりかなり違い、あのカマはあんなだったなと思い返せる機関車のひとつであった。
最近はEF81もこの部類に入ってきていると思う。末期には様々な改造が施されてバリエーションが豊富になり面白くなってくるのである。
富山の81などは0から改番した600、700番台、450、500番台、400番台と様々な区分が在籍している。300番台も転属してくる?ような噂も聞いた事が有ったがガセだったのか?実現していない。
下関での39号機はこの前年に寝台運用に復活してマーク付きの雄姿を見れるようになった。
九州で一緒に撮影していた人が58のマークが復活したから写したら?と薦めてくれたので下関にて下車して機関区に写しに行っている。今思うと貴重な機会を残せて感謝している。
この頃は大窓、小窓がゴロゴロしていてこの時写したカマは39、64、65号機の大窓機を記録している。Hゴム機は36号機のみであった。1号機もこのとき原型窓で写していたが現像する前にこのフイルムは無くしていて大きな痛手であった。
1974/1/29 下関にて |
大窓39しびれますね~
返信削除私は整形後の39しか知りません(´;ω;`)
数えてみると19両の大窓機を写すことができました。
返信削除巡り合わせで見れたか見れなかったかが左右されましたから、運が大きく効いた時代でした。蒸気機関車のプレートを買えなかったからせめて58を一枚買おうか?と思っていましたが今では200万近くすると聞き驚いています。
やはり蒸気になりそうですね。それも安い9600辺りか?