今年も最後の1日が終わろうとしています。
あっという間に過ぎた気がしますが、様々な所にもいけました。満足の1年だったと思います。
日本海を写しに青森、秋田にも行く事が出来ました。この年末年始にも走っていますので是非写してみたいと思っています。
来年はどんな年に成るのか?新潟ではいなほから485系が撤退しそうな気配です。この型式もすでにボンネットは無くなり残る車両は僅かとなってしまいました。雪の中を走る姿を充分記録しておきたい所です。
今日の1枚は大阪駅でのEF58です。撮影は1978/12/31の撮影で、たぶん銀河の臨時と立山の並びです。最近は大晦日に泊りで撮影に行く事はなくなりましたが独身時代は正月休みに入るとEF58を写しに大阪には良く出掛けていました。この当時は一晩駅に居るとEF58の列車が20数本写せました。今思うと驚きの列車本数です。
今年も一年お世話に成りました。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
2012年12月31日月曜日
2012年12月30日日曜日
磐西あの頃-20
2012年12月29日土曜日
100000ページビュー御礼
2012年12月28日金曜日
リバイバルはくたか
まだ中越沖地震の復興も完全に収まらない頃に運転されたはくたか。
信越線を宮内まで行き、上越線を上る昔の運転路線をなぞる臨時であった。当日は天気も晴れ。
鯨波にて写してその後追いかけて北堀の内までたどり着いた。
余り時間が無かったので鯨波からは下道を走り、小千谷から川口まで高速を使った気がする。
何とか間に合って4×5判をセットしている途中に来てしまった。先に645だけは三脚に付けて置いたのでこちらだけはシャツターを切る事ができた。あせって切り次のスパンが本命だったが見事に浮いてボツ。
デジタルになりどんな時でもこの心配が無くなった事が最高の恩恵なのかも?
信越線を宮内まで行き、上越線を上る昔の運転路線をなぞる臨時であった。当日は天気も晴れ。
鯨波にて写してその後追いかけて北堀の内までたどり着いた。
余り時間が無かったので鯨波からは下道を走り、小千谷から川口まで高速を使った気がする。
何とか間に合って4×5判をセットしている途中に来てしまった。先に645だけは三脚に付けて置いたのでこちらだけはシャツターを切る事ができた。あせって切り次のスパンが本命だったが見事に浮いてボツ。
デジタルになりどんな時でもこの心配が無くなった事が最高の恩恵なのかも?
2007/9/15 北堀之内 PENTAX645 80-160mm |
2012年12月27日木曜日
EF81間島俯瞰
この時は芋臨で銀ガマが応援に来ていて、当日は直前にカシオペアが上ると聞いてこの場所で写す事に。
前々からカシオペアを一回羽越線の中で撮影したいと思っていましたので、明るさがギリギリの時期でも有りましたから村上の近くで、編成がそこそこ入る所という事でここを選択しました。
ここは白鳥の末期に何回か撮影した所でしたがその後は全く行っていませんでした。
前日羽越に明るい友人に問い合わせてまだ登れるか?と聞いて出掛けています。
どのくらいの明るさに成るのかは???でしたが4時に成ったので懐中電灯を頼りに藪コギの登坂。この場所に着くまでに何度も転びスネは血だらけ。到着すると徐々に明るくなり5時を過ぎると何とか撮影できるようになりました。
この写真は5:08の撮影。カマは止まっていませんが何とか更新機ということはわかります。
この後5:22にはカシオペア、5:43には303の引く芋臨が通過しました。美味しい3連発を頂き、速攻で山を降りて湯沢へと向かいます。
前々からカシオペアを一回羽越線の中で撮影したいと思っていましたので、明るさがギリギリの時期でも有りましたから村上の近くで、編成がそこそこ入る所という事でここを選択しました。
ここは白鳥の末期に何回か撮影した所でしたがその後は全く行っていませんでした。
前日羽越に明るい友人に問い合わせてまだ登れるか?と聞いて出掛けています。
どのくらいの明るさに成るのかは???でしたが4時に成ったので懐中電灯を頼りに藪コギの登坂。この場所に着くまでに何度も転びスネは血だらけ。到着すると徐々に明るくなり5時を過ぎると何とか撮影できるようになりました。
この写真は5:08の撮影。カマは止まっていませんが何とか更新機ということはわかります。
この後5:22にはカシオペア、5:43には303の引く芋臨が通過しました。美味しい3連発を頂き、速攻で山を降りて湯沢へと向かいます。
2011/9/25 間島にて NikonD700 50mm F1.4 |
2012年12月26日水曜日
磐西あの頃-19
2012年12月25日火曜日
磐西あの頃-18
DD16 飯山線
2012年12月24日月曜日
DD16304
今日は大糸線の列車が運休と成っていてもしかしてラッセルが入るのか?という事で出掛けてきました。先に行った人より「入れ換えしている!」と電話を貰い気合入りましたがいつもと同じくギリギリ、発車10分前にようやく糸魚川に着きました。
とりあえずは根知の辺りから始めようと思い、先に行くと雪がどんどん増えていく。いつも思うのですが大野を過ぎて橋を渡ると急に雪の量が増え、道路状況は急激に悪くなります。
それと大型のトラックの多い事!とても路駐は出来ません。
毎年一回くらいは夜間の撮影に行きますが昼間の本番は2度目。東日本のDD16が消えていますから貴重な機会でした。
雪景色の大糸線、木々が真っ白に化粧してとても綺麗でした。
キハ52がいた頃は良く通いましたがその後殆ど撮影には訪れていません。車両は変わりましたが景色の美しさを再認識した一日でした。
とりあえずは根知の辺りから始めようと思い、先に行くと雪がどんどん増えていく。いつも思うのですが大野を過ぎて橋を渡ると急に雪の量が増え、道路状況は急激に悪くなります。
それと大型のトラックの多い事!とても路駐は出来ません。
毎年一回くらいは夜間の撮影に行きますが昼間の本番は2度目。東日本のDD16が消えていますから貴重な機会でした。
雪景色の大糸線、木々が真っ白に化粧してとても綺麗でした。
キハ52がいた頃は良く通いましたがその後殆ど撮影には訪れていません。車両は変わりましたが景色の美しさを再認識した一日でした。
2012年12月23日日曜日
D51714 吉松にて
一番最初に九州に行ったときの写真です。
周遊券で回りましたが徳山に居た兄の所から田川線などを経て肥薩線に入りました。
残念ながら人吉のD51はすべて休車になっていてほんの数日の遅れを悔やみました。もう一生見る事は出来ない一番好きだった敦賀式の集煙装置を積んだ重装備のD51。冬休みに訪れていれば見れたと思うと残念無念。
休車の姿を写してから大畑越えして吉松に入りました。駅前の旅館に泊まり豪華な食事を食べています。2食付で1500円でしたが学生と言う事で100円オマケしてくれました。このときの旅行はこの時だけ宿泊していますが後は野宿や車中泊と成っています。
翌日吉松の駅にてこの貨物などを写してから栗野でC57を写し、その後鹿児島機関区を訪れています。当時は走行よりも機関区に行き色々な型式のカマや、目当ての型式を写す事の方が多かったようです。まだ若く、情報の無い当時、本などで見た機関車を生で見れると言う事はそれだけで興奮ものでした。地元では聴けない9600の甲高い汽笛やスポーク動輪のC55には感銘を受けました。
周遊券で回りましたが徳山に居た兄の所から田川線などを経て肥薩線に入りました。
残念ながら人吉のD51はすべて休車になっていてほんの数日の遅れを悔やみました。もう一生見る事は出来ない一番好きだった敦賀式の集煙装置を積んだ重装備のD51。冬休みに訪れていれば見れたと思うと残念無念。
休車の姿を写してから大畑越えして吉松に入りました。駅前の旅館に泊まり豪華な食事を食べています。2食付で1500円でしたが学生と言う事で100円オマケしてくれました。このときの旅行はこの時だけ宿泊していますが後は野宿や車中泊と成っています。
3枚とも1972/3月撮影 吉松駅にて吉都線の貨物列車。 |
2012年12月22日土曜日
磐西あの頃-17
EF812
2012年12月20日木曜日
「上野駅の幕間」本橋成一著
と言う写真集を本屋で見かけたので開いてみた。
70~80年代か?駅の様々な姿が見ているうちに蘇ってくる。自分でも見たことのある情景がページを開くと展開されていく。
東北、北陸に行く人はこの駅から旅立っていたのだが、新幹線が東京駅に繋がってしまい、途中駅に成ってしまったと言う事で、玄関口のイメージは薄れてしまった。
長距離列車も今では常磐線以外は新幹線の利用となり、ホームでの別れなどのシーンは僅かに残された寝台群でしか見る事は出来ない。
東京に住んでいた70年代、東京駅から発車していく寝台群は華やかなイメージが有り、いつかはこんな寝台に乗り旅に出てみたいと思った物である。上野は未知への旅のイメージとは違い、私にとっては故郷に直結している駅と言う位置づけであった。
早速買って帰りたかったが少々高く5000円弱。その内買いたいと思っている一冊に成った。
帰ってからネットで見たら組み直しの再版本であった。1983年に出ていたようだが全く知らなかった、と言うか列車の余り出てこない本など興味が無かったのだろう。
古本の価格は15000円もするので新本はとても安く感じ、買い得感タップリ!であります。皆様も是非どうぞ。
70~80年代か?駅の様々な姿が見ているうちに蘇ってくる。自分でも見たことのある情景がページを開くと展開されていく。
東北、北陸に行く人はこの駅から旅立っていたのだが、新幹線が東京駅に繋がってしまい、途中駅に成ってしまったと言う事で、玄関口のイメージは薄れてしまった。
長距離列車も今では常磐線以外は新幹線の利用となり、ホームでの別れなどのシーンは僅かに残された寝台群でしか見る事は出来ない。
東京に住んでいた70年代、東京駅から発車していく寝台群は華やかなイメージが有り、いつかはこんな寝台に乗り旅に出てみたいと思った物である。上野は未知への旅のイメージとは違い、私にとっては故郷に直結している駅と言う位置づけであった。
早速買って帰りたかったが少々高く5000円弱。その内買いたいと思っている一冊に成った。
帰ってからネットで見たら組み直しの再版本であった。1983年に出ていたようだが全く知らなかった、と言うか列車の余り出てこない本など興味が無かったのだろう。
古本の価格は15000円もするので新本はとても安く感じ、買い得感タップリ!であります。皆様も是非どうぞ。
いつ写したのか判らない地上ホームでの一枚。 ひばりが写っているので新幹線開業以前では有るが… 右は急行型電車である。 |
2012年12月19日水曜日
只見特雪 2005/12/21
この年は12月15日に最初の特雪が出動していてこんなうちからガンガン出てこのシーズンは何回出るのか?驚いていました。
この後は26日に出ていて、その後は1月7日でした。しかし2月は全く出ておらず寒波は早く来て早く去ったということでしょう。
この頃から特雪の走る日に晴れる事が少なくなり、俯瞰のV写真も残せなくなっています。めぐり合わせのせいでしょうか、残念です。
この日はそこそこの天気でしたから柿ノ木の山に入りました。通過直前にはかなり明るくなりましたが晴れる所まではいかず残念でした。降りて大白川直線のところで追いつき写していますがここでは晴れていて、もう少しと言う所で晴れを撮り逃がしたのが痛かったです。
この後は26日に出ていて、その後は1月7日でした。しかし2月は全く出ておらず寒波は早く来て早く去ったということでしょう。
この頃から特雪の走る日に晴れる事が少なくなり、俯瞰のV写真も残せなくなっています。めぐり合わせのせいでしょうか、残念です。
この日はそこそこの天気でしたから柿ノ木の山に入りました。通過直前にはかなり明るくなりましたが晴れる所まではいかず残念でした。降りて大白川直線のところで追いつき写していますがここでは晴れていて、もう少しと言う所で晴れを撮り逃がしたのが痛かったです。
共に2005/12/21撮影 |
2012年12月18日火曜日
白鳥、雪に挑む
磐西あの頃-16
2012年12月17日月曜日
只見線試雪
磐西あの頃-15
2012年12月16日日曜日
EF5835→EF641002
2012年12月15日土曜日
磐西あの頃-14
2012年12月14日金曜日
蒲原鉄道 七谷
長岡第一機関区その2
写真を写し始めたころは休車に成った蒸気が疎開で来ていましたので良く写しにいきました。
通学の列車の中から新しい蒸気を見つけると速攻で写しに行った物です。
当時は自分で情報を仕入れてどこかに写しに行こうかとかは思いませんでしたので、何処にも行かずにお手軽に蒸気を写せたので助かりました。走行写真などは本を複写して楽しんだりしていました。今思うと驚きます。
ナンバーの書いて無い蒸気もいましたので記録しておかなかったのが勿体無かったと今は後悔しています。
当時は全く趣味の友人もいなくて、指導してくれる人も無し。先生と言うような人がいたらもっと早くに良い記録が残せたのにと思います。
長岡の倉には夏場は只見のC11も倉で休んでいて、冬に成ると仕事に出向いていました。この時は横にDD202が居たようですが写真は写していません。当時はDD20だろうとDD13だろうと一緒でした。蒸気以外は全く興味なし、カメラを向ける事は無かったのが今思うと残念です。
通学の列車の中から新しい蒸気を見つけると速攻で写しに行った物です。
当時は自分で情報を仕入れてどこかに写しに行こうかとかは思いませんでしたので、何処にも行かずにお手軽に蒸気を写せたので助かりました。走行写真などは本を複写して楽しんだりしていました。今思うと驚きます。
ナンバーの書いて無い蒸気もいましたので記録しておかなかったのが勿体無かったと今は後悔しています。
当時は全く趣味の友人もいなくて、指導してくれる人も無し。先生と言うような人がいたらもっと早くに良い記録が残せたのにと思います。
長岡の倉には夏場は只見のC11も倉で休んでいて、冬に成ると仕事に出向いていました。この時は横にDD202が居たようですが写真は写していません。当時はDD20だろうとDD13だろうと一緒でした。蒸気以外は全く興味なし、カメラを向ける事は無かったのが今思うと残念です。
1071/8/17 倉の中にて |
1972/3 長岡機関区にて こちらの写真はボイラー代用で新津からこのカマが来ていました。 走りはしませんでしたが、生きているC57を見れたのが感動物でした。 |
2012年12月13日木曜日
磐西あの頃-その13
先日ネコから出ているRMライブラリーの蒲原鉄道最後の日々と言う本を買ってきました。
磐西の50系と絡めようと思ったころはすでに村松から先の加茂までの路線は廃止に成っていました。
山越えの区間も何回かは行きましたが、今思うととても満足できる写真を残せなかったのには残念でなりません。最後の数ヶ月しか行かなかったので仕方の無い事かもしれませんが。
このカットは最後の年に何回か狙った中の1枚です。横長の比率ですが上に通路が出来て邪魔していました。それを切るために横長に成っています。もう少し早く気がついて写していたらもう少し後ろからとか色々試す事が出来たと思うと残念でなりません。
すでにこのホームも無し。全く面影の無い平地と成っていて寂しい限りです。
磐西の50系と絡めようと思ったころはすでに村松から先の加茂までの路線は廃止に成っていました。
山越えの区間も何回かは行きましたが、今思うととても満足できる写真を残せなかったのには残念でなりません。最後の数ヶ月しか行かなかったので仕方の無い事かもしれませんが。
このカットは最後の年に何回か狙った中の1枚です。横長の比率ですが上に通路が出来て邪魔していました。それを切るために横長に成っています。もう少し早く気がついて写していたらもう少し後ろからとか色々試す事が出来たと思うと残念でなりません。
すでにこのホームも無し。全く面影の無い平地と成っていて寂しい限りです。
1995/11/6 五泉にて |
信越特急、特急色三編成投入
2012年12月12日水曜日
今日は…
2012年12月11日火曜日
信越本線
地元での走りを久しぶりに写せました。
数日間はダイヤが風でメチャクチャでどうにもならず。その後は仕事で写せず。
昨日は雪で送電トラブルが有り、塚山に停まっている510-5を写して終了。
ようやく今日は遅れていましたが貨物も何本か写せ、特急色のくびき野、北越のT-18も検査明け後初めて写す事ができました。
昼頃長岡に用事で行き駅に行ったらまだあけぼのが停まっていました。宮内には昨日ロンチキを引いてきたEF8195が停車していましたので一枚パチリと写してきました。走りも写したかったのですが開通は17時頃になるというので諦めて帰宅、仕事に精を出し、終わって雪掻きして久しぶりにビールを飲んでいます。最近は寒いので日本酒が毎夜の友。ようやく冷蔵庫のビールを減らすことが出来ました。
明日は朝くびき野1号、北越1号に特急色が運用通りなら入るはず、期待しています。
数日間はダイヤが風でメチャクチャでどうにもならず。その後は仕事で写せず。
昨日は雪で送電トラブルが有り、塚山に停まっている510-5を写して終了。
ようやく今日は遅れていましたが貨物も何本か写せ、特急色のくびき野、北越のT-18も検査明け後初めて写す事ができました。
昼頃長岡に用事で行き駅に行ったらまだあけぼのが停まっていました。宮内には昨日ロンチキを引いてきたEF8195が停車していましたので一枚パチリと写してきました。走りも写したかったのですが開通は17時頃になるというので諦めて帰宅、仕事に精を出し、終わって雪掻きして久しぶりにビールを飲んでいます。最近は寒いので日本酒が毎夜の友。ようやく冷蔵庫のビールを減らすことが出来ました。
明日は朝くびき野1号、北越1号に特急色が運用通りなら入るはず、期待しています。
列番不明の貨物。EF510-1でした。 |
北越3号のT-18 いつもの場所で共に今日撮影。 |
2012年12月10日月曜日
磐西あの頃-12
2012年12月9日日曜日
磐西あの頃-11
50系が無くなり次は何を写すか?という事で次なるターゲットは5290レになった人は多かったと思います。まだ山都で一番のキハと交換していましたから通過時間も遅いときでした。
当時の目標はここ、温泉俯瞰で決める事。場所で言うと尾登~荻野間です。ここは霧の名所で初年度は30回くらい通って見えたのがわずか1回だけ。散々な年でした。次年度はどういう訳か霧が余り発生せず念願の下段、中段2箇所、この上段と奥の場所で写せました。ここで写した事で満足したのかその後は余り行かなくなり、そうこうしているうちに喜多方交換となって時間が早まり、撮影は困難に成りました。
この時は5~6人は居たでしょうか。ヌケの良い最高の日でしたから気合入りまくりで3台で写しています。これはオマケに写したハッセルで本命は4×5判でした。それと同時に645で連写!
満足の一枚でした。普段はここで写すと追い掛けて山都の先に行きますがこの日は山都交換のキハを写そうと残りました。まだ7連のキハの時代でしたからこれも良い被写体でしたのでここで写しておいて良かったと思っています。
翌日に現像が上がり満足の1枚をライトテーブルで確認する時は至福の時でした。
当時の目標はここ、温泉俯瞰で決める事。場所で言うと尾登~荻野間です。ここは霧の名所で初年度は30回くらい通って見えたのがわずか1回だけ。散々な年でした。次年度はどういう訳か霧が余り発生せず念願の下段、中段2箇所、この上段と奥の場所で写せました。ここで写した事で満足したのかその後は余り行かなくなり、そうこうしているうちに喜多方交換となって時間が早まり、撮影は困難に成りました。
この時は5~6人は居たでしょうか。ヌケの良い最高の日でしたから気合入りまくりで3台で写しています。これはオマケに写したハッセルで本命は4×5判でした。それと同時に645で連写!
満足の一枚でした。普段はここで写すと追い掛けて山都の先に行きますがこの日は山都交換のキハを写そうと残りました。まだ7連のキハの時代でしたからこれも良い被写体でしたのでここで写しておいて良かったと思っています。
翌日に現像が上がり満足の1枚をライトテーブルで確認する時は至福の時でした。
1999/5/12 ゾナー250mm |
長岡第一機関区
長岡の扇形庫にて写したDD14です。
撮影年月は1972年。写してから5年位してから現像した一本で、ケロイド状態のネガが出来ました(残念)。良い子は真似せず一時も早く現像する事をお薦めします。
現像上がりのフイルムを見るとすでに無くなった70系が写っていておー、と思いました。
ケロイド状態という事で粒子も荒れて残念ながらナンバーは確認できず。しかし頭にライトが多く付いていますから7か8でしょうか?
ヘッドは外されていますので入れ替えに使っていたのでしょうか?奥にはDD13が見えます。
9600が庫に入っていなかったら写していなかったカットですので蒸気様様です。
撮影年月は1972年。写してから5年位してから現像した一本で、ケロイド状態のネガが出来ました(残念)。良い子は真似せず一時も早く現像する事をお薦めします。
現像上がりのフイルムを見るとすでに無くなった70系が写っていておー、と思いました。
ケロイド状態という事で粒子も荒れて残念ながらナンバーは確認できず。しかし頭にライトが多く付いていますから7か8でしょうか?
ヘッドは外されていますので入れ替えに使っていたのでしょうか?奥にはDD13が見えます。
9600が庫に入っていなかったら写していなかったカットですので蒸気様様です。
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