最後は745が引き、客車の回送を兼ねて8連で走ったのだ。
当日は何回か走りを写して三川から乗車した。
745の面を客車から写すのは最後のチャンスと思ったからだ。トンネルの古いポータルを流して、吸い込まれる姿を写したかった。
沿線は凄い人でお祭り騒ぎであったが中は静かなもんで、普段の姿で最後を迎えていた。
翌日は回送で8連が走り最後の運転に花を添えたが天気は最悪。
12月2日の日は夜の貨物に回送機が付き重連と成った。これは五十島にバルブに行ったが誰も居なかったような気がする。一人居たか?もう記憶も定かでない。
さすがに皆様最後のビッグイベントの出撃に疲れ果てて来ていなかったようだ。
回送は日出谷の山から写しているが、最後はこの場所と決めていた。
雪の混じる寒い日でレンズに雪が吹き付けてくる。かすかに見えるだけの風景の中を745が走っていった。
現像をして驚いたがハッセルはキャップをしたまま切ってしまっていたようで、真っ黒のポジが残された。雪がつかないようにキャップをして待っていたのだろうが撮影後も全くきずかなかった。
もう疲れていたのだろうか?この月は20回は磐西に通っていたから疲れもピークに来ていたのか?
当時はこのあたりに毎日のように車で行っていた事に驚く。まだ若かった友達も最近見るとみな爺イに成っている。時代は二昔前の事になりかけている。