九州の帰りにはいつも寄っていた場所で、後補機が付くという魅力的な場所でした。
この写真を写した時はGWに新潟から中央西線と絡めて出掛けた時のものです。加太越えに行った最後の写真です。
この日は信号所まで行き何本かの列車を写しています。いつもは蒸気だけしか写していませんがこの日はどう言うわけかDD51も写しています。今だったらどちらもきっちり写しますが、当時は蒸気以外は写していません。
北海道の塩狩に行った時は頭に付いたDD51 をわざわざ切って写しています。DD51、写したくなかったんでしょうな~。蒸気以外の機関車、車両は永遠に動くという認識をもっていました。当時は。
この時はすでにDD51がかなり入っていて先頭はDD51が多かったです。後補機にD51が付くという運転形態でした。
写真の中在家での列車は通過ではなく引込み線に入っています。交換だったのか?写真は写していませんが無ければ通過だったはずです。
この時は入る時から連続写真で写していますので何枚か貼ってみたいと思います。
今のデジカメが有れば何枚くらいこのシーンを写しちゃうでしょうか?ズームを駆使して300枚くらいは写してしまいそう。
DD51の前打ちが全く無いのはご愛嬌。後追いで何とか切らずに何枚か写っているだけ良かったと思っています。
1973/5/4 中在家信号所にて
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