2011年10月31日月曜日

61お召し

お召しで盛り上がっている日なのでお召し機と言えばやはりこれ、EF5861号機。
この時はお召しを写しに東京まで出撃。カマは居ないかな?と東海道線の電車から見たら東京機関区はすでにもぬけの空。
品川に行ったらホームに入っています!これはラッキーと早速撮影し先回りして恵比寿に。
この時は原宿から出たんでしょうね。通過を写してから東北本線へ行って本番を写しています。
しかし天気も悪く最悪の出来でした。
今思うとモノクロは時間が経っても、天気が悪くても綺麗で良いですね。
品川にて PENTAX6×7 105mm TX  80/10/11

お召し

朝日新聞ウエブ版によると鳥取~倉吉間にお召し列車が走ったようである。
私が最後に見たのは2002/6/2の陸西のお召しであった。このときは抜けも良く最高の日だったが雲も多くメインのポイントではまさかの千切れ雲のいたずらで撃沈。
タイミングを計ったように列車と雲が見事にリンク!ほんと、その時だけで5秒前と後では綺麗に晴れていました。
清川を過ぎるお召し列車。私が見た初めてで最後のDD51お召し。この数十秒後に悲劇が起こった。
E655のお召しではとても遠くまで出掛ける気には成りません。早く今日の画像を見たいものですね。

2011年10月30日日曜日

今日のネタ-3

家に帰ってやれやれと現像していると、友人が今日の8788レ写すんですか?
とのメール。
???何か走るのか?
EF641047が配給に入っています。との答え。
えーーー!行かなくては、と。すかさず出撃。

まずは長岡駅にて通過を写してその後はバルブ。
前回EF510-6のマーク付を雨の中写したが撃沈しているので今日は上手く写るか?と少々不安がありましたがフレアーも出ず満足の成果が得られました。

長岡時代には機関区にて休んでいる所しか写真に残せていないカマです。それも端に写っているだけ。
数年前には1000番台を全機写したくて山陰まで皆様に情報をご教示頂き出撃しています。お陰様で全機写す事が出来ました。このカマとはそれ以来の再会です。
まさか岡山のカマが愛知の所属になり、関東で見る事が出来るようになるとは思っても居ませんでした。
何があるかわからない時代です。

今日のネタ-2

飯山のキハを写した帰りに新幹線を写してきました。この場所で望遠を使い先のスパンで写してみたかったのです。
本当は300mmで写す予定でしたが、後ろの斜面から写しましたので要らないものが入り500mmを使ってみました。
初めて先のスパンを写して見ましたので出来た写真はとても新鮮です。

ちょっと見ると和南津とは気づかないでしょう?。
NikonD700  Ai500mmF4P

今日のネタ-1

予報どうり朝から天気は曇り。今にも降りだしそう。
それでも飯山のキハぐるり号に出撃してきました。
どうしてもこの場所で写したかった鹿渡の川沿いの場所。
後追いでしたが満足のカットとなりました。
鹿渡駅に停車するところは横に見えました。赤いキハ、数十年前には何気にこのキハが普通列車を引いていたのですね。
シャッターチャンスの少し前、発車の時のキハの唸り。う~ん、懐かしい!!
あの頃にタイムスリップさせていただきました。
鹿渡りを発車したキハは断崖を越えて有名なS字のカーブを抜けて津南に向かって行きました。

そして夕方長岡に向かう列車を塚山にて写して帰宅しましたが、その前にT-18の北越も頂きました。今日も5、8号のすれ違いを狙いましたが下りが遅れて全く駄目でした。

共にNikonD700  80-200mm

飯山線ぐるり一周号

今年は只見線の一周号が無いためか?上越~飯山~信越線で一周号が走りました。
天気も良く乗り鉄、撮り鉄日和と成りました。
最近は川口から入る臨時も多く嬉しいです。今までは長野から十日町まで、という列車が多く川口寄りの撮影地で写す事が出来なくて残念でしたが、新潟支社のほうが積極的に臨時を走らせてくれるのでありがたいです。
今日はこの列車を追い掛けて野沢辺りまで行きその後引き返して松之山経由柿崎というコースでしたので疲れました。北越には2号~5号とT-18が入っていましたからこちらもあわせて頂きました。
明日も同じコースを走りますが天気は余り良くないようです。
秋の天気は長続きしませんね。

平滝にて
上桑名川にて

2011年10月28日金曜日

中越地震から7年

2004年10月23日から早くも7年経ちました。
丁度その日6時半にかぼちゃを切っていて包丁で手を刺し、医者に行こうと保険証を探していた時におきました。部屋の中はめちゃくちゃ。思わず表に飛び出し揺れる車の中で一晩明かしました。
信号もついていなく、静かで真っ暗の街というのも生まれて初めて見ました。
落ち着いてから鉄道の被害は?ということで塚山まで行って見て驚いたのは築堤が崩れています。信じがたい光景でした。当分は復旧しないだろうな、と思っていましたが昼夜無く作業を続けて11月の下旬には信越線は開通しました。驚きのスピードです。
不動沢のカーブ。地割れの通り道だったのか?凄いひしゃげよう。

塚山築堤の崩壊





この築堤の完成は地震の復興を象徴していました。
開通日は雨でしたが数日後この山から見た80レは、朝日を浴びながらゆっくりとではありましたが一歩一歩進む姿にはとても感動しました。
新潟は全国の皆様の支援を受け被災した箇所の痕跡も消えかけています。ありがとうございました、
3月の大地震は新潟の何倍もの規模でしたが必ず復興すると信じております。元気出していきましょう!
2004/11/28 開通試運転列車

北越8号

今日は金曜日、能登の送り込みの日。
と言う事で天気も抜けも良いので、北越8号に行ってきました。しかし通過時は雲が広がり余りVとはいきませんでした。5号の時は素晴らしかったんですが、僅か5分の違いが明暗を分けました。
今日は何とか日が射しましたが、もう来週はこの場所、岩田では無理っぽいです。
8号通過直後に写した写真がこれです。

日没まで残り数分というところでしょうか。 この場所は昔から好きなところでした。広い道路はまだ無く写真を写す線路脇の細い農道がメインの所でした。だから静かでゆっくり出来ました。
日曜の朝は下りの貨物を写す定番ポイントでした。FM放送を聴きながらの撮影が楽しかったです。
夏場以外は余り光線はよくなかったですが、お構い無しで良く行きました。家から近かった事もありますが。

昔は後ろに松の木が一本ありこれがアクセントになり好きでした。


今は昔とは比べようも無く雑木、杉が伸びています。当時はまだ明るい雰囲気がありましたね。
ボンネットは無くなりましたが、まだ485系の特急色の北越が走っている事には驚きます。
写真は76/8撮影です。

2011年10月27日木曜日

魚沼線

このブログでは初めての魚沼線。
この路線は地元ながら余り写していません。天気が悪くて何処にも行かない時などは良く写しましたが、私の中ではその程度の路線でした。
今思えば勿体無いと思いますが、当時は色々なものが走っていました。
今でも新潟の中越は人気列車の宝庫!ですが昔もやはり宝庫でした。
この頃は越後交通もあり、上越線にはとき、EF58と足を向けずには居られませんでした。今でしたら体が幾つ有ってもたりません。
この写真は片貝から来迎寺に進入する列車を写しています。
当時は家の前を真っ直ぐに信濃川方面に進むと魚沼線の踏切がありました。その辺りから写した写真です。
廃線に成る時に絵葉書を発売しましたが、そのカバーに使った写真です。
今だと列車の左に消防署、右にはセブンイレブンが写りますが写真に成らないか。
そんなに古くない81年の撮影ですがここはかなり変わり驚きます。

81/7/5  NikonF2 コダクローム

白鳥A9編成、秋

もう一枚白鳥を。
ここは来迎寺と越後岩塚の間の直線。
昔はこのあたりがとても好きな撮影地でしたが最近は草がひどくて行っていません。
斜面のススキが綺麗で好きな場所でした。ススキも多すぎると写真に成らないので加減が難しいところです。
97/10/7   NikonF4S  300mm RVP

2011年10月26日水曜日

馬下の白鳥

今日は昼から市場の日帰り研修旅行で瀬波に行ってきます!
要は飲みに行くということ。仕事もしないで飲めると言う幸せは最高です♪
北の海ということで羽越の白鳥をアップします。

この日は11連、A9編成ということで羽越まで遠征しました。信越本線では下り方に付く126号車。羽越では編成が逆に成るため新潟方を向いて来ます。京都に一両だけ居た連結器カバー付きのこの車両は追い掛けましたね。
真冬のため風も強く、小雪混じり。遅れて運転という事を聞いたがいつ来るかはわからない。
この日は馬下の集落の南方、海バックでカーブしてくるところを狙うため木の上にて待機。
30分くらい待っただろうか、雲が切れた頃やってきたが、普段はあんまり通らない車も一緒に連れてきたw。
しかも前面には雪がこびりつきマークも見えず、何よりもカバーが雪の塊で覆われているのが残念だった。難儀した甲斐なし!と言うところだった。

2001/2/12  PENTAX645  55mm  越後早川~桑川間

2011年10月25日火曜日

越後岩沢駅

この週末にキハ首都圏色の3連が飯山線を走破するそうです。
90年代頭には飯山線にはまっていて、しょっちゅうこの駅、越後岩沢に通っていました。
まだタブレットが残っていて島式のホームも有り田舎の駅そのもの。駅員もいて、いつも綺麗になっていたのも高ポイントでしたね。
行くのはいつも朝、何往復かの列車を写し8:30を過ぎると本数も減りローカル線に早変わり。
長野方ほど人気も無かったのか、他のファンと会うことも無くのどかな時間が流れていました。
イベント列車が走るとついつい追い掛けてしまい他の列車を写す事もしないし、新しいところを開拓することもしない。
晩秋の一日、たまにはな~んにも無い日に出掛けてじっくりと向き合ってみたいものです。
共に1992年撮影

2011年10月24日月曜日

EF58148

58つながりでもう一枚。
73年頃から全機写したいという願望が起き始め最後の一台と成ったのがこのカマでした。
東京に住んでいましたが東京機関区のこの機関車には相性が悪いのか?一度もお目に掛かっていませんでした。形態はファンには人気の無い白Hゴムで好き好んで写したいカマではありません。
潰しをしていると好きなカマだけ写していると最後に泣く!と言う見本のようなものです。
74年には東京に住むようになり、76年頃から本格的に写し始め半年後には半分は写せました。
その後はなかなか進まず一両写すたびにカマの番号を消していきます。これが当時最大の楽しみでした。
この写真は79/10/14日。東海道線の車内から写しています。この当時は新潟に戻っていましたから撮影は困難でした。今のような情報は皆無。ネット無し、行き当たりばったりの御時世。
この撮影以後は余り追い掛けることもなく、私の中で58熱も静かに引いていきました。
最後に残った148号機。
1975年版の交友社車輌配置表。思い出の詰まったこの一冊は今でも宝物。この機関車ほど番号を聞くと一台々が思い浮かぶ機関車は無いですね。

61お召し

今日よそのブログを見ていたら両毛線のお召しが有った日!と出ていました。
実に16年前。私も行きました。
このお召しが私の見た61最後のお召しと成りました。その後は何回か走りましたが余りの人の多さに出掛けていません。
最初にこの釜を見たのは村上の植樹祭。C571が引いたお召しです。
当日は土曜日で学校が終わってから?かどうかは忘れましたが雨の中写してきました。
写し終えて新津機関区に行くと倉の前に61様が停まっておりました。借り物の66判のカメラで写しましたが何せ古いカメラ、まともには写っていませんでした。

35mm版も写しましたが走行を写した最後の方で、止めておけば良いのに無理に巻き上げてパーフォレーションの穴を駄目にして全部同じ駒に焼き付けてしまいました。C571の後追いの走行から、61様の停まりのカットが一緒に写っています。(泣き)
この時のお召しはスターC571が引きましたから電気機関車の人気は大した事無く誰も写していませんでした。もう一人独占撮影会(だったか?)撮り放題でした。
新津の写真屋さんでお召し到着の編成写真のパネルを見た事がありましたが、何処の写真屋さんかは忘れました。さすがに綺麗なものでしたので焼いて貰いたかったです。
東芝で出したCD10枚組、蒸気機関車全集という音源にこの時のEF5861~新津の到着からC571~発車までの音が入っていますが、緊張の中の作業なのか静かなもので、聞いてて情景が余り伝わって来ないのが残念です。

当日は東北本線にて回送を写して、ついでに北斗星も撮影しました。
その後行きましたから結構ぎりぎりでいい場所は無かったですが、何とかもぐり込ませていただき撮影できました。
コスモスが綺麗に咲いていて良かったです。

仕事があったので返しは写さず帰ってきました。今思うと無理してでも写しておけば良かったと後悔しています。 新潟で61の引くイベントも何回かあり写していますが、それ以外は県外まで行き写すと言う事は余りしませんでしたが、2006年に棚下で写したのがこのカマの最後の撮影と成っています。


このカットが61お気に入りの一枚です。90/3/29三条で写しています。
私が写した58写真の中で61がやはり圧倒的に多いです。やはり人気のカマでしたね。

2011年10月23日日曜日

おのれ桜

日出谷で忘れては成らない一本の桜。
磐越西線が開通する前から咲いていたのでは?と思われる桜だった。
残念ながらかなり前に切られてしまっている。
私がこの木を最初に知ったのはキネマ旬報社が出していた蒸気機関車という雑誌のガイドであった。1978年11月号、NO58の磐西DD51ガイドというところに出ていたモノクロの写真が最初であった。

モノクロだったので桜か?としか思わなかったので確認したかったが春を待たなければしてみようがなかった。何年かの後、春行く機会に恵まれて木を調べたところ、他の桜は咲いていたが一向に蕾も付いていなく、桜の木か?とさっぱりわからなかった。
その後何年か経ち、また一冊の本が目に止った。

RM1987年5月号、NO41号に「平瀬への旅」という題で白勢久恭さんが発表した。
ペンタックス6×7に大判のニッコールレンズを付けて写していた。この機材にも驚いたが鮮明な写真で桜を見る機会に恵まれて写欲も一段と膨らんできた。
しかし桜の開花と行く日とが思うように重ならず、ようやくこの桜を写す機会に恵まれたのは91年4月28日であった。
私が写した時には木の頭が折れた後で迫力には欠けたが、実に13年後の夢が叶った一日であった。
今思うと気の長い話であるが情報の少なさが好奇心を存分に駆り立ててくれた。良い時代でありました。


日出谷俯瞰

日出谷を見下ろせた林道終点。
磐西50系に通った人であればここには何回か行っていると思う。
最後の頃は一つ先の山で伐採が行われて、谷を越えて行くことが出来た。若松行きの列車は夏場であればギリギリ狙えたので停車狙いで行った人も多かったのではないだろうか。
この頃は徳沢に行く道を作っているのがわかる。最近通ったらトンネルが出来ていて驚いた。人も減っているのだろうが道だけはどんどん広く、良くなっている。
何処の田舎でも交通の便が良くなると都会に人が流れていく。皮肉な話であります。
この場所はどちらも写せたが、こちらの方が一般的だったのだろう。223レ狙いでお手軽、磐西らしい一枚を写せた。
この場所も林道が崩れたのか車ではいけないようになったと聞き、それ以後は行っていない。たまには昔を懐かしみ行ってみたいものです。まだSカーブは見えるのだろうか?

上 89/秋  下 91/秋

2011年10月22日土曜日

来迎寺駅にて

朝の単機がついて貨車の確認。この貨車は才津行きだ。
素早く繋いで発車。
毎日がこの繰り返し。昼からは空の貨車を持ってきて、返しは単機。
越路の空の下、毎日のどかな貨物が走っていました。


1993/5~7 NikonF4S   RVP

2011年10月21日金曜日

つるぎ、トワイライト交換

今日は北越5号、8号に国鉄色が入っていたのですれ違いを狙いましたが見事に撃沈。そこそこの位置だったのですが線路脇の草にやられました。
この写真と同じ場所でしたので一枚張ります。
当時は5:30過ぎにつるぎ、トワイライトが来迎寺駅の北側辺りですれ違いました。駄目もとで何回も通いました。20回はゆうに越えていたと思います。
今驚くのは当時は50のベルビアを増感無しで使っていました。すれ違いを狙う時は天気の悪い時と決まっていましたから、条件は良くなかったですね。
一か八かの撮影でしたから天気の良い時にはもったいなくて出来ませんでした。なのでTVは良くて125でしたね。
この写真を写して何とか満足しこれ以降写していませんが、今見ると少しピントが甘い。
もう撮り直しは出来ません。

1992/6/5 NikonF4S  300mmF2.8  RVP50  来迎寺~前川

すれ違い

岩塚と来迎寺の間で写したEF62と雷鳥ですが、ここに写っているものは全て無くなっていますね。EF62、雷鳥、セメント貨車、どれも過去の車両と成りました。
79/4/8の撮影ですから30年以上経っていますが、ほんのこの前に写したような気がします。

この日はこれを写してから下田の奥の集落が大谷ダムを作るので移転、廃村に成ると聞いてその前に撮影しようと出掛けていっています。何回か行きましたが全て天気の悪い日で、しかも露出不足のポジのお陰でいい写真は残せませんでした。
今ではそのひめさゆり湖というダム湖の下に、あの村が有った事もわからないような景色と成っています。
EF62の前に写っている杉の木も今ではずいぶん大きくなっています。時間の経過にはただただ驚くばかりです。

PENTAX6×7 300mm EPR

E-5

試運転をしていると聞いて出掛けてみました。
新幹線をたまに写すとあまりの速さに感覚がついていかない。デジカメの恩恵をもっとも受けているのは、こんな高速の鉄道を写している人かもしれません。安心して写すには4000分の1は欲しいですね。
Canonから新しいカメラの発表がありました。スペックは驚きのものです。
フイルムの時代からは考えることが出来ないようなものです。どこまで進化するのでしょう?

2011年10月20日木曜日

蓮田

蓮田を行くEF65。私も昔はこの場所にしょっちゅう行っていた。EF57、58、65と様々な機関車の他にも特急電車やキハが行き来した。
盆と正月にはたくさんの臨時急行、特急が走り宇都宮で休んでいた機関車も総動員で任務に就いた。武蔵野の面影も残っていてこのあたりから蓮田駅にかけてはのどかで好きな場所でした。

EF65単機 80/8/15   PENTAX6×7  105mm

2011年10月19日水曜日

田川線9600

最後の九州旅行で友人から借りていったペトリV6で写した9600型。
たいがい朝新潟をしらゆきで出て夕方大阪に着き、そこからは高千穂で行ったと思う。遠征初日は北九州で降りて写すのが常だった。
20時間以上乗る列車は難儀で散々になるが、九州入りして目にする蒸気は疲れを吹き飛ばしてくれた。
この日も田川線で写し始めた。借り物のカメラで初めて写す200mmであった。いじり始めてあれ、ピントが合わない!無限が出ないのだ。仕方なく近くのシーンだけ写したがこの時しか使わなかった。
50mmで写したのもシャツタームラが肝心なところで出たりしてだめになったシーンも多かった。
今では10代の人でも素晴らしいカメラを使っているのでこんな事は無いと思う。
今のカメラで当時写せたら!と良く言うのは、こんな事が有ったからなのかもしれない。
1974/1/19   田川線 油須原~崎山 ペトリV6 200mm
このポジが私の初めて写したスライドです。現在NO1の番号が入っています。釜にはピントは合っていない。鉄橋の端あたりに来ている。使おうと思えば使えたんだろうが当時の技術では無理だったのだろう。

先日このカメラのカタログをオークションで手に入れた。秋山正太郎が出ていたカタログだ。さすがに若い!
標準セットで25000円という値段は当時では破格であり、若い人で買った人も多いのではないだろうか。しかし値段なりの精度、品質だったのだろう。
家の防湿庫にはまだこのカメラは入っていない。当時活躍していたカメラはミノルタSRT101、ペンタックスSP、SL、キャノンFTb、ニコマート等であった。
ほかは皆買い揃えた。残るはミランダとこのペトリである。

日南3号

DF50の富士が通過した後に来た日南3号です。この釜とは時期的に相性が良かったのか?何枚も残っています。この時期は天気のいい日が続き毎日が撮影日和でした。春は雨が多いと聞いてましたので九州は冬がお勧めでした。
列車の後ろの畑には切り干し大根の干してあるムシロがたくさん有りました。今でもスーパーで九州産の切り干しが有るとこの頃の事を思い出します。
当時マミヤプレスという6×9のカメラを使っていました。35mm版はコニカFTAでした。それは135mmレンズしかなく(標準レンズは青井岳で忘れた)広めの写真はこのカメラでしか写せなかったのです。この旅行ではペトリⅤ6というカメラを友人から借りて持っていっていますが。
綺麗に現像されたネガは全紙に伸ばしてもびくともせず、今でもモノクロで写しておいて良かったと思っています。ネガで写していた方は一番貧乏くじを引いたのではないでしょうか?
綺麗に、丁寧に現像していただき今でも写真屋さんに感謝しています。

昭和49/1/25  マミヤプレススーパー23 TX

2011年10月18日火曜日

DF50富士

古いモノクロを一枚。
日向沓掛~田野間の築堤を行く富士です。当時C57 が引く急行が復活。日南3号といえば末期の蒸気ファンには伝説と成った急行です。運用の都合で半年だけ走ったC57牽引の急行でした。
私も何度か写しましたが最後まで門デフには巡り合えませんでした。
その30分前に通過するのがこの富士でした。DL牽引でしたが遅くてうるさく、蒸気の方が早いな!と思いました。ちなみにこの日は前打ちはしてません。何でか?
この列車を写したせいでシャッターをチャージするのを忘れて2日続けて日南3号を撮り損ねた思い出が鮮明に残っています。
この頃は移動するのはDF50の旧客、その他はキハ17系、今でいう国鉄色。日豊本線には2往復の彗星と富士のブルトレも走っていました。どの列車も今走ったら気が狂ったようにファンが追い掛ける車両です。今だと車のない人は一日移動できませんね。

昭和49/1/25   ペトリV6 50mm  借り物でした。

2011年10月17日月曜日

伝説の特雪

2006年1月9日、上越線では物凄い雪に覆われていて、雪国育ちの私でも驚く積雪であった。
何回か特雪を写すと同じような写真の温めかえしになり、少しつまらなくなる。ウイングの先のミラーが雪壁で見えなくなる姿を写したいと望んできた私にとっては待ちに待った日であった。
10年目にしてこの日、10回写したうち7回がミラーが見えない雪壁であった。
迫力の一枚をモノにするには両側のウィングを開き掻き込む場所、単線区間を狙わなければ満足する写真は写せないなと岩原の手前、上下線が別れる場所に行った。
車から降りて屋根に上がりそこからまたヨイショと雪壁をよじ登る。落ちたら怪我をしそうな高さだ。
ポジションを決めるとサウンドが聞こえてきた。そこで目にしたものは屋根を越える雪に泳ぐように投雪するDD14。その姿には圧倒された。
岩原のカーブで2発頂き本命のこの場所、ループのトンネル入り口に私たちも泳ぐようにたどり着いた。
天気もバリ晴れとなり最高のコンデションだ。しかしズームのフイルターの内側が曇っている。悪い事にちょっと前に落としてはずれなくなっていた。このチャンスを逃すともうこんな姿は二度と写せない!と一念発起し、レンズが奥にいく焦点距離にしてポールについていたアングルの角にコンコンとぶつけて割った。
これで準備OK 。しばらくするとウィングをいっぱいに広げたDD14が姿を現した。

2006/1/9   中里~土樽 NikonF5  80-200mm

EF510-5

やはり昨日で9078レは終わったようだ。出撃しようとしたら新発田で待ち構えていた友人から来ない!とのメールを頂きスカを免れた。感謝申し上げて居ります。
疑わしきは行くしかない!というのが鉄の鉄則(本当か?)だそうだからスカも痛いが仕方が無い。もし行かなくて来たら、いつまでも後悔していなければならない。
と言う事で信越本線、岩塚界隈で久しぶりに95レを写した。この列車は年間を通して200回近くは写していそう。
暫く行かなかったらカマの脇に影が掛かるようになっていた。日も短くなっていて、もう冬がそこまで来ていますね。

NikonD700  80-200mm

2011年10月16日日曜日

9078レ

いよいよ最後の時を迎え始めた9078レを写すべく押切に。一応土手に行くと今日は人が居ない!では面撮りをしたかった場所なんで速攻で準備。曇りの予報だったので土手の向こう側で逆光方を写す予定だったが変更してこちらに決めた。波々の無いほうは結局写さずじまいで終わりそうだ。
曇りだったが見附を通過した頃雲が切れ始め、強い光が注ぎ始めた状態の時に通過!
最後の最後でここで満足の一枚を頂き感謝!
嬉しさの余韻に浸るまもなくくびき野1号がK-1で行きました!とメールを頂いていたので後ろを振り向きパチリと一枚。

その後は長岡まで行き運輸区まで入る工程を楽しませていただきました。
300mmを付けて写していると北越1号が来ました。まさかこれにまで特急色が入っているとは思わず、列車が見えたときにはやられた!!!と思いました。
しかしこれもまた今の時代を生きる車両の新潟での良き一コマと成ることでしょう。

全てNikonD700  300mm


EF510-6

このカマに広島工場の公開を宣伝するHMが付いているということで白新線まで写しに行ってきました。富山方に付いているのですが信越本線では昼間の上りは4060レしかなく、残り一週間では撮影は無理そうでしたので、遠かったですが出撃と成りました。
銀ガマの撮影とは違い遠征の人は居なくて5~6人とのんびりしたものでした。
前にも富山機関区のマークが付きましたがそれも6号機でした。縁があるのでしょうか?

そろっと最後に成りそうな芋玉号の撮影に出撃したいと思います。今日は302号機ですね。

2006/6/11  岩塚~塚山

2011年10月15日土曜日

C57180

今日から磐越西線のばんえつ物語号の運転が再開された。
9月頭から大雨により不通と成っていたが昨日開通し、今日から運転を始めた。今年復活したC61も魅力的だが何分走る路線が電化されていて、撮影者も多く思う場所で写せない。
家からも近く、勝手のわかる磐西はやはり魅力的だ。
ずいぶん通わせていただいた銀ガマも暫く無さそうなんで気温と相談し、煙を求めて出掛けたいと思います。

2004/10/16  早出川にて