58つながりでもう一枚。
73年頃から全機写したいという願望が起き始め最後の一台と成ったのがこのカマでした。
東京に住んでいましたが東京機関区のこの機関車には相性が悪いのか?一度もお目に掛かっていませんでした。形態はファンには人気の無い白Hゴムで好き好んで写したいカマではありません。
潰しをしていると好きなカマだけ写していると最後に泣く!と言う見本のようなものです。
74年には東京に住むようになり、76年頃から本格的に写し始め半年後には半分は写せました。
その後はなかなか進まず一両写すたびにカマの番号を消していきます。これが当時最大の楽しみでした。
この写真は79/10/14日。東海道線の車内から写しています。この当時は新潟に戻っていましたから撮影は困難でした。今のような情報は皆無。ネット無し、行き当たりばったりの御時世。
この撮影以後は余り追い掛けることもなく、私の中で58熱も静かに引いていきました。
最後に残った148号機。
1975年版の交友社車輌配置表。思い出の詰まったこの一冊は今でも宝物。この機関車ほど番号を聞くと一台々が思い浮かぶ機関車は無いですね。
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